グリーフケア―悲しみを和らげるために

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グリーフケアとは

大切な人を失う喪失体験による悲しみのことを「グリーフ」(悲嘆)といいます。

グリーフは、人だけではなく、大切にしてきたペットや災害による居場所の喪失、仕事を失うこともグリーフです。
つらい失恋や離婚などの別れ、肉体の一部を失うこともグリーフにあたります。

私たちは、大切な存在を失ったときのつらさや悲しみが深すぎると、その喪失感から立ち直ることがとてもむずかしくなってしまいます。

そうしたグリーフを抱えた方々の心の痛みが、少しずつ癒えていくように寄り添い、再生のサポートをさせていただくことを「グリーケア」と言います。

グリーフケアは、ようやく日本でも広がり始め、グリーフのための分かち合いの場やカウンセリングセンターなどもできていますね。

私は、東京ではほとんどないかと思いますが、グリーケア外来を受け付けるクリニックで、グリーフケアやトラウマケアの担当としてお仕事をさせていただいています。

大切な人との別れは、「悲しみ」が深いだけではありません。

食事が取れなくなったり、眠れなくなったりと「体の変化」や、集中力がなくなったり、人と接することが苦痛になったりと「周囲との変化」を伴います。

体の変化としては、眠れない、起きられない、眠りが浅い、食欲がない、体がだるい、頭痛や動悸、疲れやすいなど。

こころの変化としては、悲しい、寂しい、後悔、罪悪感、何もする気がしない、誰にも会いたくない、憂鬱、落ち込み、不安、むなしい、生きる意味がないなど。

グリーフ体験は、さまざまな形で心や体、生活に変化が生まれやすくなります。

これまでも、本当に色々な方がお見え下さり、関わらせていただいてきました。

セッションを重ねていくと、ペットロス、失業や離婚、失恋はもちろん、配偶者や恋人の死が少しずつ癒え、笑顔が見られるようになり、ご自分の生活や希望を取り戻していかれました。

その方にとって、最もつらい記憶やトラウマになっている部分、そこにあるつらいお気持ちを、苦しくならない形で解消していくアプローチを図るため、比較的早く、ご自分を取り戻されることが多いと感じています。

ただ、死別に関しては、現在のコロナ禍の閉塞感と恐怖心の中で、「死」をどのように受け止め、癒していくかは、これからますます重要になるのではと思えています。

ここでは、ご本人に限らず、悲しみの中にある人を見守る周囲の人にとっても、グリーフやグリーフケアについての、もっとも基本的なことをお伝えできたらと思います。

 

1 愛する人、大切な人を失って悲しいのは自然な反応です

2 悲嘆は、人によって強さも回復の時間も異なります

3 悲しみからの回復には、さまざまなプロセスがあります

4 その人の持つ死生観によって、死の受け止め方も悲嘆の深さも異なります

5 辛すぎる場合は、適切なサポート、専門家のサポートが必要なこともあります

6「悲嘆」という喪失体験後の「心のプロセス」を知っておきましょう

 

愛する人を失って悲しいのは自然なこと

クリニックでグリーフケアをしているとお話をすると、グリーフ(悲嘆)とは病気なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、決して病気ではありません。

愛する人、大切な人を失って、悲しいのは、とても自然なこと。

大切な人、愛する人を失った悲しみはとても深く、しばらくの間、生きる価値を見失ったり、どうしようもない喪失感、孤独感におちいることは、誰にでも起きうる自然な心のプロセスなのですね。

ただ、愛する人を失って、新たな環境や状況の中で、自分らしい人生をリスタートできるようになるには、その人に合った時間とプロセスが必要になります。

なぜなら、悲嘆は、人によって強さも回復の時間も異なるからです。

そのことが理解できていないと、自分はおかしいのではないかと、自分を責めすぎてしまうことがあります。

一方で、周囲の方も、死に対する自分の経験や感じ方で接してしまうため、遺族の方が、周囲の人の言葉で傷ついてしまうこともよくあります。

「いつまでも泣いていてはダメ。あなたがしっかりしなくちゃ、死んだ人が浮かばれない」

「元気を出して、がんばりなさい」

「あなたがお母さんを支えなくちゃ」

「どうして、こんなになるまで気づいてあげられなかったの」

「あなたは、なんで異変に気づかなかったの」

「若いんだから、いくらでもやり直せるわよ」

「また赤ちゃんを産めば(再婚すれば)いい」

「あなたより、もっと大変な人がいるんだから」

「あなたはまだ幸せ」

「あなたの気持ち、よくわかるわ」

「時間が解決してくれるから」

 

悪気ではなく、励ますつもりで言われた言葉であっても、自分の悲しみが理解されずに、自分のつらさを周囲に話せなくなってしまうことがよくあります。

特にご家族の方の場合、49日まではやることが多く、よくわからないままに過ごしても、その後に強い悲嘆が押し寄せてくることがあります。

ところが、周囲の人は、そのあたりで気持ちも落ち着いて、そろそろ元気を取り戻しているのではと思ってしまうので、そのギャップに一人苦しみを抱え込むようなってしまいがちです。

自分のグリーフのつらさは、他の人に分かることでも比較するものでもありませんが、研究などで、悲嘆が複雑になる要因として挙げられているものをご紹介したいと思います。

1 誰が、どのようになくなったのか

2 故人との愛着関係(愛憎の葛藤)

3 過去の喪失体験や既往症

4 本人の性格や環境

5 周囲のサポートの有無などです。

悲嘆が複雑になるとき

そんな中でも、癒しに時間がかかるケースには、やはり特徴があるように思います。

私が現場で実感するのは、特に下記の3つです。

 

1 どのように亡くなったか

予測なく、突然に事故や病気で急死された場合、自殺された場合、そして、それがお子様や配偶者であった場合のグリーフはどうしても大きいと言えます。

人生で経験する最も高いストレスが、配偶者やお子さんの死だと言われます。

お子さんの場合は、特にご自分の一部を失ってしまったがごとく、その事実を受け止めること自体に時間がかかることでしょう。

また、事件に巻き込まれるなど、非業な死を遂げられた場合の家族のお気持ちは、計り知れないものがあって当然であろうと思います。

最近では、コロナで死に目に会えないまま、愛する人が亡くなってしまわれ、後悔や自責の思いが強まるケースも増えています。

自分の大切な人の死が、あまりにもつらい状況下で生じた場合、何らかのセラピーや分かち合いだけで簡単に癒されないのも当然です。

十分に悲嘆を味わう中で、癒しのプロセスを歩みながら、深い喪失感には「時薬」もどうしても大切と言えるかもしれません。

そして、人は死んだらどうなるのかという「死生観」や「人生の意味」を抜きにして、グリーフケアはないのではと私自身は考えています。

なぜなら、その人の持つ死生観によって、死の受け止め方も悲嘆の深さも異なるからです。

現代では「肉体が死ねば、それでおしまい」という唯物的な考え方を信じている人の方が多いかもしれません。

一方、「肉体は乗り物であって、肉体が滅びても運転手である魂は天国に還り、永遠の生命をもって転生輪廻をしている」という霊的人生観や、人は死んだら天国に還るというような宗教観を持っている人もいます。そうした死生観、死後の生をどう考えるかは、人の生き方にも、残された人の悲しみ方にも大きな影響を及ぼします。

普段、日本の医療の世界ではほとんど触れることができない死生観、宗教観の部分ですが、きわめて重要な部分でもあると思え、改めて、そんなことも取り上げてみたいと思います。

もしご興味がある方は、医師であり、死生学の研究者でもある加藤直哉先生の「人は死んだらどうなるの」(三和書籍)なども、参考になるかもしれません。
死んだらどうなるのかを死生学的に知りたいと思っている方は、ぜひ読んでみてくださればと思います。

 

2 過去にも未解決の喪失を経験していたり、うつなどの既往歴がある場合

喪失体験は、先程もご説明したように「死」だけではないので、失業した上にご家族が亡くなったとか、火事で家も両親も同時に失ったとか、配偶者が死んだ上に可愛がっていたペットが亡くなったというような場合、立ち直りに時間がかかることがあります。

すでにお皿やコップを落としてヒビが入っていて、もう一度落としたらどうなるでしょう?

割れてしまいますね。

それと同じことが心に起きてしまいます。

人生で何らかの喪失を体験していない人というのもいないと言えますが、私がグリーフケアをさせていただくときにも、必ず過去の痛みや喪失感については、時期を見てサポートさせていただくようにしています。

また、何らかの心理的既往歴がある場合も、心が脆弱になっている上にグリーフ体験が加わるので、心のバランスを崩しやすいと言えます。

こうした場合、グリーフケアはある程度できて喪失感からは立ち直れても、なかなか社会復帰が難しいケースもあります。

心身の不調が強い場合、うつや不安症などの既往歴や現病歴があって苦しい場合は、周囲の適切なサポート、医師などの専門家のサポートも検討なさってくださればと思います。

 

3 故人との間に愛着やトラウマの葛藤を抱えている場合

母一人、子一人の場合や、夫婦だけで仲睦まじく長年暮らしてきたというように、故人との愛情が強すぎても、葛藤がありすぎても、どちらの場合も悲嘆が長引く可能性があります。

特に、幼少期に親から十分な愛情を示されていなかったり、暴言や暴力を受けいていたり、トラウマになるような出来事を抱えていると、どうしてもアンビバレントな感情(愛憎の葛藤)が生まれてしまいます。

寂しい気持ちもあるのに、許せない気持ちも去らない

死んでも涙さえ出ないのに、母親のことを繰り返し思い出す

わだかまりが消えず、そんな自分も許せないというような葛藤が起きると、シンプルに悲しむことができないので、複雑な感情や思いが続いていくことになりがちです。

 

葛藤を抱えていた母親を亡くされたBさんも、亡くなったことに涙も流れず悲しいとも思えず、そんな自分も許せず認められなくて、やってこられました。

両親の仲がいつも悪くて、自分の居場所はなく、妹は可愛がられても、自分は幼い頃から何かあると手を出され、できないことは何もないほど頑張っても、トップをとっても、一度も認めてもらえることはないまま、大学進学を機に親元を離れたそうです。

その後、結婚し子どももいながら、ある分野のエキスパートとして、夜中まで仕事をして当たり前、家事をして当たり前、趣味もプロ並みにやらなくてはと思うほど、自分を追い込む人生を生きておられました。
母親が死んだことをどう考えたらいいのか、母親との関係をどのように捉えなおしていいのか、そもそも母親や父親、妹に対してどのような葛藤を抱えていたかということ自体が、十分に理解できていなかったBさんでした。
セッションを重ねる中で、少しずつ自分が何でここまで頑張って頑張って、休むことを一切許さないで生きてきたのか、「誰かに認めてもらうためにずっとがんばってきたんだ」ということが、ようやく理解できるようになりました。
そして、人生で初めて休むことをご自分に許し、家事をしない時があってもいい、趣味は楽しんでいいんだと受け止められるようになり、ライフスタイルを少しずつ変えていかれました。
そうして、父親や妹へのわだかまりも薄れ、母親に対しても、「自分を見守っていて」と思えるようになった時、卒業していかれました。

 

こうした複雑なグリーフケアにおいては、2と3にあげた過去の喪失感や、広い意味でのトラウマケアを必要とすることが実際に多いです。
1のケースを除けば、このトラウマケアや愛着問題の解消を十分にさせていただくことで、癒えていかれることが多いと感じています。

そういう意味で、長い間癒えない複雑な問題の場合は、単なる分かち合いだけでは心が癒えず、トラウマケア、ストレスケアも考慮する必要があるかと思えています。
「グリーフケアとトラウマケア」については、また、別の機会にお話をさせていただきますね。

さらには、自分自身がどんな人間なのか、どのように生きることが自分らしく生きることなのか、大切な人の死で初めて、自分の人生を振り返りはじめ、「心の再生」「人生の再生」を求めるような方もいらっしゃいます。

こうした方の場合は、グリーフケアだけでなく、じっくり時間をかけて、ご自分で納得がいくまで探求を深めていかれることが大事になるでしょう。
医療機関の枠を超えているところもあり、ヒーリングカレッジのようなプログラムもそうした試みの一つになるかもしれません。

悲しみからの回復には様々なプロセスがあります

これまでの研究の中で、悲嘆からの回復にはさまざまなプロセスがあると論じられています。

研究者によって、その段階やプロセスの捉え方も異なりますので、そこにこだわるのはあまり意味がないかもしれません。

何より、多くの方と接していく中で、大切な人を失ったことは同じでも、それ以外の要因が全く異なるのに、同じプロセスを経ると考える方が、無理があるのではと感じています。

それでも、ご自分に起きるさまざまな感情や状態は、決して病的なことではなく、悲嘆からの回復のプロセスの一つであるのだと理解し、受け止めていただくことはとても大切です。

自分に起きるさまざまな感情や思い、状態を受け入れながら、ご自分のペースで心を癒していっていただけたらと願っています。

グリーフは、心の奥底には、言葉にならない本質的な哀しみがあると言えます。そのうえで、さまざまな研究の中で知られてきている、喪失体験がもたらす悲嘆には、次のようなプロセスがあることを知っていると、助けになるかと思います。

 

ショック・混乱・無感覚

・大きなショックを受け、精神的に混乱します。

・食欲がなくなったり、ぐっすり眠れないこともあります。

 

喪失の感情・故人との過去の記憶

・怒りや不安、孤独感、後悔や罪悪感、自責の思い、死への恐怖心、過去の記憶を思い出しての思慕、喪失感

・故人と葛藤があった場合は、許せない気持ちや素直に悲しめない複雑な悲嘆となり、長引くことがあります。

「死ぬ瞬間」の著者であり、「死の受容のプロセス」で有名なキュープラロスは、「悲しみ抜くことそのものに、癒す力がある」と語っています。
こんなにつらい感情が嵐のように起きるのは、自分がおかしくなってしまったのではと思う方もいらっしゃいますが、十分に悲しみ抜くことは、グリーフケアにとって、とても大切なことだと受け止めてくださればと思います。

 

引きこもりや抑うつ ― この時期が一番つらく絶望的に感じられる

・日々の生活への関心の欠如

・未来や人生に目的を見つけることができなくなる

・落ち込みや絶望感

・疲労感が強まり休息が必要になる

・頭がおかしくなったのではと感じる

抑うつの感情が生じますが、抑うつ気分が中核症状であるうつ病と異なるのは、グリーフの場合は、故人への思いとしての空虚感、喪失感が主なるもので、職場や人の前では辛さがまぎれたり、忘れられたりします。

 

癒しと再生

・思い出の反芻は苦しいですが、これが悲しみを少しずつ癒していきます。
そうして大事な人は戻ってこないというあきらめの気持ちを経ながら、転換期が訪れるようになります。

・身体的な欲求や社会的な関心、意欲が少しずつ回復します。

・故人のいない生活に適応しながら、自分らしい新たな生き方や方向性が生まれます。

 

コロナ禍のグリーフケア

ある50代の女性Cさんが、ご病気で入院されていたお父様を、リハビリのために知り合いの施設に転院させたところ、その施設でコロナに罹り、あっという間に死に目にも会えずに亡くなられてしまいました。

ご自分の親友(だと思っていた方)の夫が経営している施設で、転院する直前に施設でコロナが発覚していたにもかかわらず、説明もなく、転院を受け入れたことにどうしても納得がいきませんでした。

その女性は、旅行が大好きな父親のために、また元気に旅行を楽しんでもらいたいとリハビリ施設に入れたのに、自分が父親を死なせてしまったと、非常にご自分を責められていました。

お父様がコロナにかかった折の連絡も、非常に簡単なもので、次に連絡があったときにはもう亡くなったという連絡であったこと、その経過やどのような処置が施されたかの回答もあいまいだったそうです。

さらに、ショックだったのが、親友だと思っていたのに、次に会ったときは、施設の関係者として自己保身としか思えない態度で、そこには何らの誠意も感じられなかったことに、非常なショックを受けられたのです。、

Cさんの場合は、父親の死と親友の喪失が重なりました。

父親をその施設に入れてしまった自責の思いや、楽しみにしていた旅行に連れて行ってあげられなかった後悔、尊敬していた父親を突然失ったショック、親友に裏切られたようなショックと親友の喪失、さらには、数年前の離婚の傷もきちんとは癒えていない状態でした。

このように、コロナ禍で十分にお見舞いに行くことも許されていない時期に、父親を突然コロナで失うだけでもショックなことです。
そこに親友との葛藤や喪失が加わり、まだ癒えていない離婚時の痛みが加わったことで、眠れなくなり、食事もとれなくなって、会社を休職して治療にあたられることになりました。

頑張り屋で、全てを飲み込み、誰にもご自分のつらい気持ちを話せないことも大きかったと思います。

Cさんの場合、自分が父親を死なせてしまったという自責や後悔の気持ちがとてもお強く、十分にお話を伺いながら、TFTやEFTのタッピングメソッドを用いて、丁寧に感情の軽減を図っていきました。

その後、施設や親友への怒りや不信感、悲しみ、許せなさの解放や、離婚時の心の痛みまで解消を図っていきました。

離婚時の夫への不信感と、親友への不信感が重なるところがあり、人への信頼感を取り戻していくことが自分の課題だということにも気づきを持たれたころから、だんだんに心が落ち着かれていきました。

その頃にお父様にお手紙を書いてみたらとお話をして、実行されたことで心が軽くなり、笑顔を取り戻していかれました。

この方の場合、仕事自体に問題がある方ではなかったので、その後職場のリワークの指示を仰ぎながら、4カ月ほどの休職で復帰をなさいました。

 

コロナ禍が続くと、コロナに対する恐怖心や、これから世の中はどうなっていくのだろうという不安で、社会も人の心も恐怖心や不安感に支配されがちになります。

この恐怖心を抱え、すでにストレスフルになっている中で、ご自分の家族にコロナで亡くなる方が出るというのは、突然の感染と死に目に会えない無念さで、本当に心に抱える喪失感や孤独感は想像以上のものになります。

そして、そのつらさを他の人に言えず、理解も得られず、他の人との交流も遠ざける傾向があると、心身への負担は相当大きなものになってしまうことは明らかです。

その上に、別の喪失感や葛藤が重なる場合は、どうしてもグリーフも強く、またグリーフケアに必要な時間も、長い時間を必要とする場合も出てくるようになります。

どうか、ご自分だけでは心が苦しすぎる場合は、グリーフケアの分かち合いグループやカウンセリングをお受けくださればと思います。

(なお、事例は個人が特定されないように、これまでのケースを踏まえて書いています)

 

私自身、母親を昨年亡くし、その頃からビリーブセラピーでも、死生観とシンプルだけれども効果のあるセラピーを取り入れた、グリーフケアの集まりを持ちたいと考えるようになりました。
ご興味のある方は、「こころカフェ」(こちらのブログへ)を2022年4月からスタートする予定ですので、お気軽にご相談くださればと思います。

また、ご自分の人生の振り返りや再生が必要な方には、心と体と人生の再生を図る「ヒーリングカレッジ」(詳細はこちらへ)を開催していますので、よろしければご覧になってみて下さい。

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