Contents
完全主義は不完全?!
これまで、自信のなさについて、1 自分の価値が信じられない場合 2 失敗体験、挫折体験から自信を失った場合、3 自分の「能力」に自信がない場合を見てきました。
今回は4回目の 完璧主義の強さからくる自信のなさについてお話ができたらと思います。
完全主義的傾向が強い人の場合は、まじめに努力をする人であればあるほど、「自信」という点においては、努力逆転してしまう場合があります。
なぜなら、頑張って8割9割できても、完全主義の人は、できていない1割2割の方にばかり目が行くので、いつでも自分や状況に対して、不安や不満、不足感、自責や自己否定、他者否定が生まれてしまうからです。
ですから、たとえ周囲からは評価を受けていたとしても、いつまでたっても、自分では自信が持てないという不完全燃焼を起こしてしまうことになります。
足りていない自分を認められず、否定してしまうところが、完全主義的傾向の強い人が陥る一番大きな「ワナ」とも言えます。
何より、完全主義に陥ることで、オール・オア・ナッシングになってしまうため、結果、不完全な人生を生きてしまうことになります。
学校の勉強なら、努力すれば100点を取ることが可能なので、優秀だった方ほど、社会に出てからも100点を取らなくては完全でないように思えてしまいがちです。
でも、よくよく考えてみましょう。社会に出て、仕事や自己実現、結婚、子育てなどの世界に100点というものがあるかどうかを。
どう考えても、私たち人間も、この世界も、私たちがよりよく成長するようには創られているとしても、完全なものとして創られている存在や世界ではないのではないでしょうか。
だとするなら、完全主義にこだわって、過剰に失敗を恐れたり、いつも不足感や不満で否定的な見方をするのは、もったいないと思いませんか。
なぜなら、いつまでたっても幸福を感じることができないからです。
自分の理想や目標に向かって努力することは大切でも、完全を目指すのではなく、今与えられている力の中で最善を尽くすことが一番大切なのではないでしょうか。
完全主義ではなく最善主義を
ポジティブ心理学で有名で、ハーバード大学で大人気の講義を行ったタル・ベン・シャハ―は「最善主義が道を拓く」の中で、不幸の正体は完璧主義にあるとして、完璧主義ではなく、最善主義を選択することを勧めています。
彼は、完璧主義者は、人生で大切な4つのことが受け入れられないでいると指摘しています。
1 人生に失敗がないということはありえないことであっても、「失敗が受け入れられない」
2 理想的な感情しか受け入れられず、「ネガティブな感情を受け入れられない」
3 成功基準が高いため、たとえ成功しても達成感を味わえず、「成功を受け入れられない」
4 自分のつらい感情や失敗、成功という現実に起きていることを認められず「現実を受け入れられない」
「失敗を受け入れる」「ネガティブな感情を受け入れる」「成功を受け入れる」「現実を受け入れる」
どのことも、すぐには受け入れるのは、簡単ではないですよね。
でも、誰にとっても失敗はあるのだということや、ネガティブな感情が生まれるのは当然あるのだということを受入れようとする姿勢があるかどうかはとても大切になります。
目標や理想を掲げている人にとって、失敗のない人生などありません。
にもかかわらず、完全主義な人ほど、失敗をした時に、自分がダメだから失敗したとか、人生を踏み外したような挫折感でいっぱいになって長い間立ち直れないなんて言うことが起きてしまいます。
なんて、偉そうなことを言っている私自身がまさにそうでした。高校時代に生まれた挫折感から自己否定に陥って、立ち直るまでに本当に長い時間を必要としましたし、その後も、何かうまくいかないことがあるたびに、「やっぱり、私はダメ」と自己否定の世界、「私はかわいそう」と自己憐憫の世界に入っていました。
そして、そのうち、自分がダメということを人に知られそうになると(と、自分が思っているだけなのですが・・・)「逃げる」ことをするようになりました。
完全主義的傾向が強い人は、オール・オア・ナッシングなので、100か0、100点が取れないなら、そこから逃げたり、やることを避けるということが起きがちなのですね。
若いうちは特にそうですが、人生は成功もあれば、失敗もあるものなのだという、当たり前のことがわかっていませんし、狭い経験しかないので、多くの人が経験する失恋や受験の失敗、部活やサークルでの人間関係の悪化、就活での失敗などで、自分が取り返しのつかないことをしてしまったように、自分を責め続けたり、否定し続けたり、罪悪感や絶望感に陥ってしまいがちです。
そして、そういう否定的な感情を持っている自分も許せず、受入れられないので、さらに自分はダメと自信を失ってしまうことになります。
人生は成功もあれば失敗もあり、その失敗の中からも学びや教訓を得て、リバウンドできる力、伸びていく力こそが、本当は大事なはずです。
偉人や一流と言われる人で、失敗のない人生、苦難のない人生を生きたことがない人など、一人もいないのではないでしょうか。
失敗をしたから自己否定に入るのか、失敗を通してそこから教訓や知恵を学んでいくのか。
ここが、その人の幸福感や自信、自己肯定感において、とっても大切な分岐点になるのですね。
たくさんの失敗をしたとしても、そこから教訓や知恵を学んで、自分の成長に繋げた人が、未来に向けて成功の種をまけるようになるし、自己信頼につながっていくようになります。
自己否定・他者否定をしない
では、具体的にはどうするか。
ひとつは、過去の失敗や挫折体験が、自分に何を教えてくれているのかをじっくり見つめてみることです。成功した人たちは、「あのつらい体験があったからこそ、今の自分がいる」と、過去から学び尽くし、過去に感謝し、その後の成長に繋げています。必ず学ぶべきことや自分の成長につながることがあるのだということです。
2つ目の大切なポイントは、完全なものがないとしたら、まずは「足りていない自分」「足りていない状況」「足りていない他人」を否定しないということです。
不足がある自分や他人を許すということがとても大切になります。
その不足しているものを受け入れ、肯定しながら、自分ができる努力においては最善を尽くすということ。
この今、自分に与えられているものの中でできる、最善、次善を積み重ねていくことで健全な自己信頼、自信を育てていくことが大切なのだと思います。
完全主義的傾向の強い人は、常に不足や欠如している部分に意識が向かうので、結果、自己否定をしたり、他者否定をする傾向が強くなります。
まずは、自分がどれだけ、自己否定、他者否定をしているかに気づいてみてください。
自分の何か、他人の何かを見ては、何らかの否定やケチをつけていないか、自分や他人の不足分、欠如分を見て、批判していないかを。
自分や人を否定していて、幸せになることも、自信を持つことも決してないので、まずは、自分がどれだけ自己否定や他者否定をしているかチェックをしてみてください。
そうした自分に気づくだけでも、変化の一歩になります。
さらに、そうした足りない自分や足りない相手を受け入れ、許せるようになると、自分や人生が少し軽くなるのを感じるはずです。
3つ目は、これまでにもお話をしてきた、目標や理想に向かう際に、現実にはない「完全」を目指すのではなく、「最善」を尽くそうとすることです。
自分を信じる力が、幸福や成功を引き寄せる
「自信」については、今回で最後になりますので、今一度自信を持つためのお話をしたいと思います。
自信とは、自分を「信じる力」です。
情報化社会や科学優位の現代において、私たちは色々な能力を身につけて来ましたが、一方で、今、一番失われているものの一つが、「この信じる力」なのだと思います。
学校でもテストでは、いかにひっかけ問題に気が付いて、ミスを少なくするかという訓減をしているようなところがありますね。
本質的なことへの理解を深めようというような教育ではなく、いかに効率的にテストでいい点数を取るための勉強をするかということに重点が置かれていたり、
疑って疑って、それでも証明できたものだけが真実であるよいうような学問の世界であったり、
ワイドショーやSNSで取り上げられることは、人の悪や愚かさ、欲の強さを刺激するものであったり、
人との関係でも、変な人についていってはいけない、簡単に人を信じちゃいけないなど、信じあう方向よりも、疑う気持ちを助長する傾向が生まれていたり
この心理療法の世界であっても、「信じる必要はありません。信じなくても効果が出ます」というような論調で書かれていたり・・・
世界や人との関係が、幼いころから、信じることよりも疑うことを良しとするような傾向が強まってきているように思えます。その中で、自分だけは信じるということが可能かどうか。
他は安易に信じてはいけないというような教育を受けながら、自分だけは信じられるようにというのは、実際のところ難しいのです。
疑うことに努力はいりません。そうではありませんか。
ある人にひどいことを言われたり、されたりしたら、もう、その人を信じない、信用しない、疑うというのは、誰もが簡単にしがちです。何の努力もいりません。
例えば、愛して信じていた夫が、妻が、内緒で借金をしていた、不倫をしていた。それを知ってしまったら、もう相手を信じられない、愛せないということに、苦しみはあったとしても、何か努力がいるでしょうか。
自分は仕事において大きな失敗をしてしまった。進路や目標に挫折をしてしまった。自分はダメだ、最低な人間だと自己不信に陥ることに努力はいるでしょうか。
私たち人間には、誰にも備わっている「自己防衛」や「自己保存」の欲求によって、何か安心安全でないことがあれば、疑う、信用しないというのは、何の努力もなしに当たり前に起きることであるのです。
動物も、当然この自己防衛や自己保存欲が強いわけですが、では人間と動物を分ける大きな違いは何にあるかといえば、「それでも信じる」という力を持っているかかどうかなのです。
人間には、この「信じる力」が与えられているのです。
ですから、
子どもが悪いことをしたら、もう自分の子供を信じるのをやめるのかどうか、
夫や妻が裏切りと思えることをしたとして、許すことができるかどうか
自分の失敗や挫折を責め続けるのかどうか
人の悪や愚かさを一生許さずに生きるのかどうか
自分の悪や愚かさを裁きつづけ、罪悪感を持つだけで、変わろうとはしないのかどうか
辛い出来事や裏切られるような出来事、失敗や挫折があった時、いったんは許せなかったり、不信感に陥ることは自然です。でも、その後信じる力を取り戻すかどうかは、私たちの自由な選択に任されているのです。
自己信頼を持つ、自信を持つというとき、大きくは、私たち自身の内なる「信じる力」を認めることができるかどうか、選択できるかどうかであるのです。
ぜひ、信じる力を育て、信じる力を強めていこうと願い、選択できる私たちでありますように。
この力があって、初めて、自分の価値を無条件に信じ、さらに才能や努力による成功体験を積み重ねていくことで自信が育っていくのだと思います。
この記事へのコメントはありません。