怒りやイライラの原因がわからない?!

あなたは、

「なんで、こんなに無性に腹が立つんだろう」
「なんで、頭ではわかっているのに、イライラしちゃうんだろう」
「このもやもやする気持ちは、いったい何なんだろう」

自分の怒りやイライラの原因が、自分でもよくわからなくて、自分で自分の感情を扱いかねてしまうことはありませんか?

遅刻をしてくる人や、仕事の要領が悪い人を見ると、怒りやイライラを感じるとか、

lineが既読になっているのに、いつまでたっても返事が返ってこないと腹が立つとか、

コンビニの店員の態度が悪い、車内で子どもが泣き続けている、夫や妻の顔を見るだけで無性にイライラするとか、

大変な仕事や気が乗らない誘いにノーと言えないでイライラするなど、

本当のところ何が原因でイライラしているのか、腹が立っているのか、理由がよくわからないと、もやもやしてしまいますよね。

こんな時、怒りや苛立ちに対しては、EFTでトントンしてくだされば、ス~っと心は軽くなります。そのやり方については、こちらで説明していますので、ぜひご覧くださいね。

それでも、繰り返し同じような出来事で怒りやイライラを感じる場合は、やはり、その原因が解消されていないからなのです。

いったい、私たちはなぜ怒りを感じるのでしょうか?

自分が何が原因で怒っているのかを突き止めると、怒りの扱いがしやすくなり、理由がわかるだけでも心が落ち着いたりします。なぜなら、私たちの心は、「わからない」ということ自体に、不安や不快を感じてしまうからです。

原因がわかるだけでも、心は安心するのですね。

今回のブログは、怒りを感じる心の仕組みをお伝えして、その具体的な対処法については、こちら「アンガーマネジメントに最適なEFTタッピング」でご紹介していきたいと思います。ぜひ、併せてお読みくださればと思います。

 

なぜ怒りを感じるのか?

怒りやイライラの感情は、どうして生まれるのでしょうか?

たとえば、出勤時間でも、友人との待ち合わせでも、大事な集まりの開始時間でも、遅刻をする人に対して、批判的な気持ちや苛立ちを感じてしまう方もいらっしゃるかもしれません。

では、遅刻をする人に対して、それ以外の人全員がイライラしたり、怒りを感じるでしょうか?

そうではないですね。

まったく気にしない人もいれば、不都合がある場合だけ、淡々かつしっかりと、時間通りに来るように注意する人もいれば、自分自身が早めに来ることが好きではなく、時間ちょうどに間に合えばいいんだと考えているような人もいるでしょう。

また、赤ちゃんが満員電車内でずっと泣き続けていたとして、全員がイライラや怒りを感じるでしょうか?

赤ちゃんの泣き声自体にイライラする人、親に対して怒りを感じる人、お母さんが大変だろうなと親のつらい気持ちに共感する人、お母さんや赤ちゃんにやさしい声をかける人・・・これも、人によって違いますね。

そう。反応は人によって、まったく違うのです。

私たちは、日常の中で、「こんなことって常識なのに、まじ、ムカツク」とか「「こんな当たり前のことがわかってない○○(夫・妻・姑・友人・上司・部下・店員・・・誰でも当てはまっちゃいますね)が、許せない」というようなことを思ったり、口にしがちですが、本当は、同じ出来事を体験しても、人の気持ちや反応は違うのです。

では、同じ出来事でも、どうして人によって反応が違うのでしょうか。

それは、その出来事に対しての「見かた考え方」が、人それぞれ違うからです。

その出来事に対して、どんな意味付けをするか、判断をするかは、その人の持つ価値観や信念によって異なってくるからなのです。

たとえば、子どもの頃から、泣くことを認められずに来た方は、「泣くな」という禁止令を心に持っているので、どこでも自由気ままに泣き続けられる赤ちゃんにイライラするかもしれません。

「母親は周りに迷惑かけるべきでない」という価値観を持っている方は、赤ちゃんが泣いていることよりも、なぜ泣き止ませられないのか、なぜ電車から降りないのかと母親を批判して、怒りを感じるかもしれません。

自分の子どもがよく泣く子で、「自分も周囲の目が気になって大変だった」という思いがあれば、お母さんに共感する気持ちになるかもしれません。

「赤ちゃんは泣くもの」と思いながら、「赤ちゃんもお母さんも満員電車で大変」と思えば、赤ちゃんやお母さんに自然体で、声をかけたり、あやしたりするでしょう。

このように、私たちは、自分が怒りを感じる時、何かイヤな出来事があって、その出来事や相手の人に問題があるから、怒って当然と思いがちですが、実はそうではないということです。

その人が持つ固有の価値観や信念があるから、その人は怒りやイライラという反応をするのです。

こうした、その人固有の価値観や信念のことを「ビリーフ」と言います。

もし、根本的に怒りやイライラを軽減させようと考えるなら、自分が持つ、固有の価値観や信念=ビリーフに、どんなものがあるのかに気づく必要があるのだということです。

遅刻に過剰に反応する人は、「遅刻するべきでない」という思いが強いかもしれません。

赤ちゃんの泣き声に過剰に反応する人は、「泣くべきではない」「泣かせるべきではない」という思いが強いかもしれません。

つまり、自分固有のビリーフが強いため、その自分の価値観や信念と、起きた出来事が合わないために、怒りやイライラを感じるのだということなのですね。

逆に言うと、自分にどんなビリーフがあるのかに気づくためには、自分が怒りやイライラを感じた時がチャンスでもあるのだということです。

何かの出来事で、自分が怒りやイライラを感じている時というのは、必ず自分の中に何らかのビリーフがあって、反応しているからです。

このビリーフにどれだけ気づいていて、修正していかれるかが、ある意味で、自分らしく自由に生きられる一つの大きなポイントとも言えます。

何かあるとすぐに怒ったり、何かあるたびにイライラしていると、周りの人も落ち着きませんが、何より、本人の心に安らぎがないので、幸福感が得られないのですね。

ですから、その原因になっている自分のビリーフに気づいて、そのビリーフが緩んで、 もっと自分や他の人にとって、より良い肯定的な考え方ができるようになると、軽やかにしなやかに生きられるようになります。

私自身も、最近気づかされたことがありました。私は、どうしてもひどい虐待のニュースなどを聞くと、虐待する親の側に対して反応してしまいがちです。多くの人が虐待に対して、「なぜ、そんなひどいことができるのか」と心を痛めるでしょうが、私自身は、虐待に限りませんが、人を「害する」立場に立つ人に対して、過剰に反応する傾向があります。許せない気持ちが強めに出るのを自分でも感じます。仕事で、過去に虐待されてきたクライアントさんに接する機会が多いこともありますが、それだけでなく、私自身が、昔からかなり害されることの恐怖心を持っていて、「害されるべきでない」「害するべきでない」のどちらも非常に強いからだと言えます。そこまでの自覚は、これまでもありました。

ところが、ある時、友人が、「虐待のニュースで、一方的に親を責める論調が強いと、そういう親にも事情があるのにと辛くなってしまう」と言っているのを聞いて、ハッとしました。彼女は、虐待をしてしまうことで悩んでいる親子に接する機会の多いセラピストであり、現役子育てママでもある人です。はたから見ていても、本当に愛情豊かに子育てをしていて、お子さんたちも伸びやかに育っているのを知っていたので、なおさら私が虐待に対して一方的な価値観で、虐待する人を強く裁いていたことに気づかされました。

虐待がいけないことかと言ったら、人を殺すことがいけないように、いけないことであることに間違いはないでしょう。

ただ、それによって、過剰な怒りや裁くような思いが出ることは、また別の問題で、友人の言葉によって、自分が一切理解しようとすることなく、過剰に許せない思いを抱いていたことに気づかされたことでした。

「べき思考」に気づくことから始めましょう

こうした「べき思考」が強いと、何が問題かというと、この「○○であるべき」という価値基準、モノサシから、自分や人に対して、過度に反応して、自分や人の首を絞めてしまうような不自由さがあることです。

遅刻をすると、社会人として、大人として、人の時間を奪ったり迷惑をかけることがあるので、信用を得るためにも、「遅刻しないほうがいい」というのは、合っているでしょう。

でも、この「遅刻すべきではない」と「遅刻しないほうがいい」の違いが、大きいのです。

遅刻しないほうがいいというのは、遅刻することへの批判やジャッジが含まれていません。

遅刻しないほうがいいけれども、遅刻してしまうこともあるだろうという許可の思いがあると、人は自分に対しても人に対しても、許容範囲が広がります。たとえ自分は遅刻しないように、必ず早めに行動をしたとしても、他の人の遅刻に対して、イライラしたり、責める思いがなくなります。

やさしくあるべき、強くあるべき、努力するべき、人の役に立つべき、優秀であるべき、完全であるべき・・・

多くの「○○であるべき」というべき思考は、その内容自体は間違っていないことも多いものです。

やさしいのはいいし、強いのはいいし、努力できるのはいいし、人の役に立てたらいいし、優秀であるのはいいし、完全であればいいし・・・

やさしいのはいい、だから自分はやさしい人になれるように努力をするというのは、何も間違っていないですよね。

でも、人はやさしくあるべきで、私にもやさしくしてほしい、やさしい人なら、こんな時励ましてくる、助けてくれる、それなのに、あの人は、私に何も言ってくれないと怒りや苛だちを感じてしまうとしたら、どうでしょう?

このように、「こうありたい」「こうであってほしい」「こうであるはずだ」という自分の理想や期待が強すぎると、自分や人に対して怒りや苛立ちを感じてしまうのです。

つまり、怒りの原因は「自分自身の譲れない価値観」であり、また「自分の思い通りにしたいのに、思い通りにならない」欲求の問題でもあるのです。(欲求については、「アンガーマネジメントに最適なEFTタッピング」の中で説明しますね)

怒りは自分自身の価値観、ビリーフによって生まれますが、それは全ての人にとっての真実ではないのだということ、それぞれの違いを認めて、受け入れることが大切になるのです。

また、完全であるべきというべき思考は、まじめで、お勉強がよくできたような方ほど、強いものです。

限りなくいいものを目指そうという思い自体は、間違っていないですよね。

特に芸術的な分野などクリエイティブなものを目指している人などが、もっといいもの、もっといいものをと目指すことは自然だろうと思います。

ただ、「完全であるべき」という完全主義が強すぎるのは少し違います。一番の問題は100か0か、オールオア、ナッシングになってしまうことです。学校時代の勉強の成績は、やればやっただけ、100点を取ることは可能です。

ところが、社会に出た後の実人生は、100点を取れるようなものではないことばかりです。点数で測れるようなものではそもそもないものが多いですよね。

人間が肉体をもって生きる以上、不完全にしか生きられないのは仕方がないことなのですが、完全主義的限傾向が強すぎると、それを受け止められずに、ちょっとでも失敗があると、自分に対しても人に対しても、責める気持ちが出てしまいがちです。できてないほうにばかり目が行き、70点、80点では0点のように思えてしまうのです。結果、自分がうまくできないもの、苦手なものを遠ざけようと、チャレンジしなくなったり、ミスを恐れるようになります。そんなことが高じて、人間関係がうまくいかなくなったり、職場に行かれなくなったりということも起きがちです。完全を目指すあまり、本来できるようなことも避けて、結局不完全な人生を生きてしまうようなことが起きてしまいます。

こうした時、不完全でいいんだ、70点80点でもいいんだというように自分や人に許可が出せるようになると、自分や人への苛立ちや、自責、他責がなくなっていくようになります。

まずは、時間が取れる時などに、じっくり、怒りの原因として、自分が怒りや苛立ちを感じる時はどんな時か。その出来事を書いてみることをお勧めしたいです。そして、そのことに怒りを感じるのは、どんな「べき思考」があるのかを、考えてみてください。

たくさんあることに気づく方もいるでしょうし、いつも同じ「べき思考」によって怒りや、苛立ちを感じていることに気づく方もいるかもしれません。

自分で自分の心の奥にある思いを理解することが、変容をもたらす第一歩です。

ぜひ、チャレンジしてみてくださいね。

そして、このべき思考の緩め方については、こちらで、ご紹介をしていますので、もっと自由に生きられるようになりたい方は、ご覧くださいね。

第一の矢と第二の矢

怒りやイライラの原因は、その人の価値観や信念というビリーフや、こうであるべきというモノサシにあるので、どんなモノサシ、べき思考があるのかを見つめてみましょうとお話をしました。

さらにビリーフについては、もう少しお話をしてみたいと思います。ここからは、「べき思考」より、もう少し心の奥にある、その人の核となる価値観や信念についてのお話になります。

ちょっと想像してみてください。

たとえば、あなたが希望していた会社に転職できることになって、10名の仲間と一緒に、初めての研修に出たとします。

研修期間は2週間。

そこには、見るからに威圧的な男性管理職と厳しそうな女性トレーナーの二人がいます。

男性管理職は、「この会社は生半可な気持ちでは続けられない。研修も厳しく行っていくので、そのつもりでついていってほしい」とみんなの前で話しました。

その後の女性トレーナーは、何か課題を与えるたび、「こんなこともできないで、社会人とは言えない」「能力のない人は、やめてもらっていい」「もう明日から出てこなくていい」「それで結局何が言いたいわけ」「今までの会社で一体何をやってきたの」「無能な人間は、迷惑なだけ」と、誰にでも容赦のない言葉をかけています。

不明な点を尋ねると「いちいち、くだらないことを聞かない」とにべもなく、尋ねないで課題を仕上げると「なんで確認をしないで進めたのか」と言われてしまう。

もう、10名の参加者は、全員くたくたになって2週間の研修を終えました。

さあ、もし、あなたなら、どんな気持ちやどんな思いになるでしょうか。

AさんもBさんも、酷い言葉を投げ続けてくるトレーナーに対して、怒りや悔しさ、怖さや不安、そして、悲しみや情けなさを感じたのは同じでした。

これを第一の矢と言います。

これくらい、きつく否定的な言葉の羅列が毎日のようにあれば、多くの人は、軽重の差はあっても、似たような気持を抱くことはあると思います。

ただ、その後の第二・第三の矢を受け続けていくかどうかが、10人の仲間の中でもそれぞれに違っていきます。

Aさんは、「自分がダメだから、こんなひどいことを言われるんだ」と、トレーナーの言葉や態度に傷ついてしまい、自分への自信をどんどん失ってしまいます。新たな所属先でもオドオドしたり、また怒られるのではないか、否定されるのではないかという不安と怖さでいっぱいになっていきます。それでも何とか会社に通ってきていた彼女ですが、ついにGW後、会社に行かれなくなってしまいました。

Bさんは、幼い頃からおばあちゃんに「人生万事好都合」と言われながら育ってきた女性。悔しかったし怖かった研修でも、学べることもあった、必ずこのことが良い結果になって現れるはずと、いつか自分もトレーナーができるくらい有用な社員になって、先輩トレーナーとは違う、もっと人の力を伸ばせるような人材育成者になるぞと心に決めて、大変な仕事を頑張っていきました。

あなたならどうでしょう。

入社後一年は、意図的にふるいにかけるというような会社もあると聞きますが、Aさんのようでもなく、Bさんのようでもなく、こういう会社は自分には合っていないと、早々にやめるという選択をする人もいるかもしれませんね。

いずれにしても、私たちは生きている以上、どうしても第一の矢は受けてしまうものです。

皆の前で、自分に大きな非がある訳でもないのに、酷い言葉で叱責され続ければ、傷ついたり悲しくなったり、怒りや悔しさがわいてくるものです。

でも、その当たった矢から衝撃を受けてしまい、第二の矢を自分で自分に打ち続けてしまうのか。この矢の痛みを、できるだけ短い時間の間で癒し、流しさっていこうとするのかは、人によって違うのです。

すでにお話をしたように、どんな出来事があったとしても、どんな反応をするのかは、その人の考え方、受け止め方にかかっているのですね。

たとえ第一の矢が当たったとしても、その後どうするのかは、私たちは選ぶことができるのだということです。

第一の矢だけであれば、私たちは、その感情を流し去ることは、そんなにむずかしいことではないのです。

時間の流れと共に記憶が薄れたり、乗り越えられたり、流し去ることができます。あるいは、タッピングやマインドフルネスなどを用いても、感情の解放が可能です。

この人生自体が、価値観が多様な人々との間で成長し、調和していくことを求められる、私たちの心を磨くための学校でありレッスンでもありますから、第一の矢としての、怒りや恐れ、悲しみは生まれてくるものです。

でも、それを持ち続けて、第二の矢として、傷口を広げていくのは、人生の側の問題ではなく、実は自分の心の問題で、その過去をどうとらえ、どう見たか、それに基づいてどのような感情や態度、行動をとったかによるのだということです。

これまで見てきたように、インパクトのある出来事については、第一の矢ではすまなくなって、第二の矢を自ら作り出して、ネガティブな感情や思いを潜在意識の中に押し込んでは、どんどんため込んでいくことになります。

この第二の矢を自分で放ってしまう原因が、その人のもつ固有のビリーフであるのだということです。こうした、より心の奥深くにある、その人の人生に重要な影響を与える価値観や信念、セルフイメージのことを「コアビリーフ」とも言います。

これまでみてきたように、私たちの幸・不幸は、実は出来事に左右されるものではないのだということです。

先ほどのAさんとBさんの例でも分かる通り、実際の幸不幸を分けるのは、その出来事そのものではなくて、その出来事に対して、どんなものの見方や考え方をするのかで違ってくるのです。

Aさんのように「自分はダメ」という思いで、その出来事を受け止めたら、自信を失い、不安や恐さでいっぱいになり、オドオドしてしまいます。

かたや、Bさんは、嫌な気持ちになりはしても、「人生の問題には必ず意味がある」と思って、必ずいつか、そのことがあって良かったと言えるように、努力していこうと考え行動していきました。

大事なことは、自分の人生にどんなひどいことが起きたかではなくて、その出来事によってどんな思いを抱いたか、それによって、生まれる感情や態度は変わりますし、その後、どんな行動をするのかでも変わっていくのだということです。

たとえ大変な出来事が起きたとしても、それに対するこの思いと行いの選択こそが、とても重要なのだということですね。

そして、今ある私たちの人生というのは、生まれてからこれまでの間に、どんな思いと行いをしてきたか、その積み重ねの結果でもあるのだということです。

こうした自分の人生に影響を与えているコアビリーフに気づき、ここを変えていくことは、大きな成長と変容に繋がります。

このコアビリーフについても、改めて取り上げてみたいと思っていますが、べき思考だけでない、「私は愛されない」とか「私は無能だ」「人は信用できない」「自分は一人孤立している」などの否定的な価値観や信念、セルフイメージもあることを知っておいてくださればと思います。

ただ、今回の怒りそのものの原因としては、まずは、「べき思考」や自分の「思い通りにしたい」欲求に気づいて、対処できるようになることを目指していただくことが一番です。

最後に、これまで「怒りやイライラ」に関してお話をしてきたことをまとめておきますので、改めて、今のご自分に必要なものに応じて、試してみてくださればと思います。

① 怒りや苛立ちの感情が解放できるようになること。その奥にある悲しみや寂しさ、繰り替えし出てくる思いの解消ができるようになること。(「怒りを抑えるよりも効果的なEFTタッピングとは?」をご覧ください

② 怒りや苛立ちを感じている最中に、適切なコーピング(ストレスの対処)ができるようになること。(「イライラや怒りをスーッと抑える方法」をご覧ください

③ べき思考や欲求に気づいて、自分固有の譲れない価値観や欲求が緩まり、自分や他の人に許可が出せるようになること(「アンガーマネジメントに最適なEFTタッピング」をご覧ください)

最後までお読みくださって、ありがとうございました。

どうぞ、心穏やかな毎日が過ごせますように。

 

関連記事

  1. イライラや怒りをス~っと抑える方法

  2. 怒りを抑えるよりも効果的なEFTタッピングとは?

  3. アンガーマネジメントに最適なEFTタッピング

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。