人は死んだらどうなるか―死生学と悲嘆療法

グリーフケアの場で、「人は死んだらどうなるのか」と言う死生観について話をすることは、表だってはしにくい空気を感じることがあります。

敗戦以降の日本では、GHQの意図もあってか、政治や教育から宗教を切り離し、信仰や宗教をタブー視するような傾向が生まれたようです。

日常生活の中でも「なんか宗教臭い」「これは宗教じゃありません」など、神や仏を信じる方が悪いように言われることもありますね。

国際調査では(2006年から2008年)日本は宗教を持つ人が25%しかおらず、世界143ヵ国中、共産主義国に混ざって下から8番目に宗教を信じていない国として、ランクされていました。

一方で、生まれ変わりを信じている人は、33カ国中、42.6%と上位8位にランクされているそうです。

少し不思議な気もしますが、最近は若い人を中心に、宗教には距離をとっているけれども、スピリチュアルなものは信じていると言う人が増えてきているからかもしれません。

心理療法の中でも、魂の存在や霊的世界観を扱うトランスパーソナル心理学や、ヒプノセラピーとしての前世療法や悲嘆療法などが、あの世の存在や永遠の生命、転生輪廻などを取り上げるようになってきています。

私自身も、人間は永遠の生命を持ってこの世とあの世を転生輪廻している霊的存在だと信じている1人です。

霊的な体験や、自分の過去世をいくつも明確に記憶として持っている人間だということもありますが、私の周りにも過去世の記憶を持っている人はたくさんいますし、臨死体験や、生まれる前の記憶を持っている方々もいらっしゃいます。

霊的人生観を持っていると、この世で生きる意味や、人が生き、人が死ぬということはどういうことなのかという問題意識は、人生の折々に育まれていくように思います。

ただ、現在の日本では、肉体が死んだら、何もかもなくなるのだと言う人間観、人生観を持っている方はまだとても多いですね。

この世に生まれ落ちてから、家庭でも教育でもマスコミでも、唯物的で科学万能の見方や考え方しか教わっていなければ、無理もないかもしれません。

けれども、大切な人を亡くした時、その方がどのような死生観を持っているかで、その後のあり方がやはり大きく異なってくるように思えます。

特に、お子様や配偶者など大切な方を、思いもかけない形で失った時は、たとえどんな人生観、死生観を持っていたとしても、想像できないほどの衝撃や苦しみ、悲しみがあることでしょう。

愛する人を失うと言うのは、人生の苦しみの中でも最も大きな苦しみといえますので、その悲しみや寂しさは誰もが避けることはできないだろうと思います。

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霊的人生観をもっていると・・・

それでも、人間が霊的な存在で、たとえ肉体は死んでも、魂は永遠の生命をもって、あの世に還っていくという死生観を持っていると、その後の捉え方は異っているように思えます。

先日、知り合いのご家族のご主人が亡くなりました。

3人のお子さんがいて、1番小さな子はまだ小学生です。

奥様のお気持ちも、残されたお子さんたちの健気さを思うと、涙が流れてしようがありませんでした。

ただ、このご家族は、お子さんも含めた全員が、お父さんの肉体は死んでも、本来の世界であるあの世に還っただけ、この世には魂修行のために出てきていて、本当の世界は天上界にあると捉えている方々でした。

お通夜の日、1番下のお嬢ちゃんが私に「お父さんの死んだ顔、見ましたか? 笑顔になっていたでしょう。」と、とてもうれしそうに話すのです。
どんどん痩せていくお父さんを見ていましたが、最後に入院する時はもう会えないと覚悟していたのでしょう。
寮に入っていたお兄ちゃんたちが、終業式が終わって帰ってきた午前中に、お父さんと会うことができると、その晩お父さんは亡くなられました。
「私は入院前に会えたし、お兄ちゃんたちもお父さんに会えたからよかった」
「お父さんは、〇〇にいい人生だったって話してくれたの」と話してくれました。

そのお父さんも、私が去年の暮れにお見舞いに行った折に、「まだこの世に使命があれば、良くなるかもしれないし、あの世に使命があるなら、それでもいい」とすでに受け止めておられました。

この方の場合は、突然の死ではなく、既に余命宣告を受けておりましたので、急に亡くなられた方々とは少し事情が違うかもしれません。

それでも、改めてその人がどんな死生観を持っているかは、やはり大きいなと思えた出来事でもありました。

死んだらどうなるかは、目には見えないことなので、本当にそれが分かる方は限られてくるかもしれません。

けれども、死んだらどうなるか、その死後の世界を研究している「死生学」と言うものがあります。

日本でも、加藤直哉先生と言う医師が「人は死んだらどうなるのか」(三和書籍)と言う題名で、科学的に死後の世界の証明をされているご本があります。

加藤先生は「臨死体験」「過去生療法」「生まれる前の記憶を持つ子供たち」など、死生学研究で3つの博士号を持っており、死を学べは生き方が変わるのだと説かれています。

臨死体験も、過去生療法も、生まれる前の記憶を持つ子供たちも、海外では研究が進められていますが、加藤博士は、反論する立場の方の意見も比較考量しながら、科学的に論証を進めているのが特長と言えます。

死生学の研究から

科学的な検証自体に興味のある方は、ぜひ書籍を実際に読んでいただくのがいいと思います。

加藤先生は、医学的調査データを基に「臨死体験」、「過去生療法」、「生まれる前の記憶を持つ子供たち」という3つの研究結果のまとめとして、
死後の世界は存在すること
人は何度も生を繰り返していること
カルマ(因果応報)の法則が存在すること
などの事実に到達すると書いています。

加藤先生ご自身が、生と死のはざまで苦しんでおられた時に出合ったのが死生学研究で、この研究を通して「生きる力」「死ぬ力」を与えられたと言います。

「人生は思い通りにならないからこそ価値がある」
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という「生きる力」

「死後は全ての痛みや苦しみから解放される」
「死後、先だった愛する人たちや守護天使が迎えに来てくれる」
「死後に出合う光は、完全な愛そのものである」という「死の恐怖から抜け出すこと」ができるようになったと書かれています。

現在の死生学研究の中で、私たちが実際に体験が可能なものは何かというと、過去生療法です。
催眠療法の一つである過去生療法で、自分の過去世の人生がわかることで、現在の人生の意味に気づけたり、天国のような死後の世界を体験したりすると、たとえ証明はできなくても、魂レベルでの納得感、実感が伴うものです。

死生学はまだ、日本では十分に確立されている分野ではありませんし、死生学的研究においても、科学的に100%証明できるかと言えばそうではないでしょう。

そもそも目には見えない、人知を超えた世界を、人間が全て科学で証明できると考えること自体に無理があるかもしれません。

でも、死んだら何もかもが終わりと考え、もう二度と愛する人と会えないのだと思い、嘆き悲しむのと、肉体が死ぬことによって、しばらく会えることはなくても、あの世で幸福に霊的存在として暮らしているのだと思うのでは、まったく違うとは思いませんか。

自分も、あの世に還ればまた愛する人と会えるのだということ。

何より、こちらから大切な人の声を聴くことはできなくても、あの世に還った人はいつでも、私たちを見守り、話しかけることができるのだということでもあります。

実は、こうしたことを裏付けるように、大切な死者との再会と対話を通して、心と体と魂が癒されていくような「悲嘆療法」という技法があります。

大切な人を失った直後は、さまざまな感情や思いが去来しますし、少し落ち着いた頃にご本人が望まれればではありますけれども、グリーフケアを図る上で、非常に大きな癒しをもたらすアプローチと言えます。

大切な死者との対話「悲嘆療法」とは

大切な死者と対話をするというアプローチ自体は、さまざまなセラピーで扱っていることかと思います。

ゲシュタルトセラピーには、非常に有名な「エンプティチェア」という技法があります。

この技法を使って、亡くなられた方との対話を図ることは、以前から試みられていた手法と言えます。

このアプローチだけでも、非常に効果があります。

2つのイスを用意し、自分の対面には、大切な人が座っていると思って、大切な人との間で未完となっているさまざまな思い、後悔や申し訳なさ、思慕の思いや喪失感を伝えていきます。

十分に伝えられたと思ったら、今度は、もう一つのイスに座って、大切な人になりきってその思いを聞いてなんと答えるかを語っていきます。
その後、何度も納得がいくまで、自分と相手の双方の立場に立って対話を続けていきます。

このように書くと、そんなことができるだろうかと思われる人が多いのですが、かなり深いところでの実感を伴ったやり取りができるため、たくさんの気づきとともに、深い癒しと完了がもたらされるアプローチです。

一方、「悲嘆療法」は、グリーフケアのためのヒプノセラピーの技法です。(「悲嘆療法」村井啓一編著 静林書店)

この悲嘆療法は催眠下、二度と語りあえないと思っていた大切な人と潜在意識化でコミュニケーションが図れるため、相互理解が生まれ、悲嘆者に深い心と体と魂の癒しをもたらすアプローチと言えます。

前世療法や悲嘆療法などヒプノセラピーは非常に素晴らしいセラピーですが、はじめての方の場合、3時間程度の時間を必要とすることや、料金的にも3万円以上かかることが多いため、誰にでも気軽に受けられるものではありませんが、興味のある方は、悲嘆療法の先生を調べて受けて見られるとよいと思います。

こころカフェでも、希望される方には、エンプティチェアでの対話も、イメージワークとしての「悲嘆療法」を経験していただいています。

これを経験すると、頭のレベルではなく深いところでの癒しや気づきが生まれるため、本当に癒されますし、心が落ち着いていかれるようになります。
どんなに、死後があると言われても、実際に大切な人を失った悲しみや喪失感は簡単に癒えるものではありません。

けれども、心の奥深くに、その大切な死者からの「声」が「メッセージ」が確かに届けられ、二人の間でなされた対話は間違いなく、悲嘆者の方の辛い心を解き、溶かしていくものになることでしょう。

こうした試み自体、とても勇気がいるものですが、心の準備ができた時は、ぜひ貴重な体験をしてみてくださればと願っています。

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